日吉神社 Hiyoshi Shrine
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神社関係年表

年表

天暦6年(952年)

拝島山密厳浄土寺(みつごんじょうどじ)と号す大日堂は多摩川洪水の際に中洲に流れ着いた大日如来の木像を大神の浄土にあった浄土寺に安置していたが、滝山城築城の折にその鬼門除けとして当地に移した。(大日堂の起こり)(拝島の由来)(この頃日吉神社の創建とも言われる。)

天正年間(1573-1591年)

北条氏照の家臣石川土佐守の7歳の娘、於ねいの眼病を祈願、井戸で眼を洗ったところ、平癒したので堂宇を再建、8寺院を建立。(大日八坊)普明寺、本覺院、圓福寺、智満寺、龍泉寺、蓮往院、密乗坊、明王院。(この頃日吉神社の創建ともいわれる)

元亀2年(1571年)

織田信長による延暦寺焼き討ちの際、慈恵大師の像を敬甚大僧都(そうず)が救出し諸国を回ったが天正6年(1578年)大日八坊の一つである本覺院に安置した。(拝島大師の起こり)  

亨保17年(1732年)

大日堂大再興が行われ大日堂の位置を石段上の現在地に移す。

寛保元年(1741年)

9月5日 (将軍吉宗)山王社宗源宣旨により山王大権現の称号を許され(その当時は山王社と称していた。)当時の普明寺住職順栄はこれを記念して社殿の再建及び神輿の新造などを計画し氏子と協議し一月一文を全氏子から寄付するとした。

明和 4 年(1767年)

(将軍家治)村民(氏子)寄付を承諾するにあたって先ず神輿の新造を希望したため神輿が完成した明和4年9月19日第一回の神輿の渡御の神事を行った。(山王祭礼図絵)
「御神躰採光」厨子新造。 

文政13年(1830年) 

(将軍家斉)神輿行列(神事)からかつぎ屋台を分離し上宿、中宿、下宿の3台の屋台となる。(加美町祭礼勘定帳) 

天保15年(1844年)

このころ現在の本殿が建設されたと考えられる。(「奉再採光御神体」(御神体収納箱(背面)墨書) 

弘化4年(1847年)

流造の本殿 「密厳浄土寺絵図」(普明寺所蔵) 

嘉永4年(1851年)

9月1日 本殿修復と幣殿・拝殿の起工と鳥居と神橋の起工。

嘉永5年(1852年)

9月9日 本殿修復と幣殿・拝殿、鳥居と神橋の竣工。

嘉永7年(1854年)

本殿屋根葺替(箱棟銅板駒板墨書)

安政2年(1855年)

9月9日 本社修復、幣殿・拝殿・鳥居・神橋竣工の大法要。 

元治元年(1864年)

(将軍家茂)神幸行列より榊を分離し祭礼当日早朝に行われる。(午前0時―午前4時)(加美町祭礼勧進帳) 

明治2年(1869年)

神仏分離令により普明寺の管理から離れ神社の名称も日吉神社とする。中宿屋台完成(二代目) 

明治3年(1870年)

上宿屋台完成(二代目)

明治7年(1874年)

拝殿屋根を板葺からブリキ板葺に改める(棟札)(昭和10年)
坂下地区大火事(30軒消失) 

明治8年(1875年)

中宿地区大火事 (45軒消失) 

明治21年(1888年)

下宿屋台完成(二代目)

明治28年(1895年)

手水舎建立。

大正3年(1914年)

木造玉垣を石造に修築 (玉垣親柱刻銘) 

大正6年(1917年)

拝島の大火 (70軒消失)

大正7年(1918年)から大正10年(1921年)

いわゆるスペイン風邪が世界的に流行る。 

大正9年(1920年)

拝殿屋根、向拝を除き桟瓦葺に変更 (向拝裏甲墨書)

大正10年(1921年)

二の鳥居再建 (親柱刻銘)

大正11年(1922年)

石橋(一の鳥居南)再建 (親柱刻銘)

大正12年(1923年)

9月1日 関東大震災 

昭和10年(1935年)

本殿屋根修繕、拝殿向拝屋根をブリキ板葺から銅板葺に変更 (棟札及び本殿鬼板鰭裏面に刻銘)

昭和30年頃

祭の日時を9月19日からそれに近い日曜日に変更 。

昭和30年代 

賀美町の十松囃子が全関東お囃子コンクールで3年連続優勝し、 NHK テレビ(宮田輝司会、渡辺紳一郎、藤原アキの解答陣による「それは私です」を通じて全国に紹介された。地元ではこの由緒伝承を永く後世に伝えるために、「拝島町日吉神社奉納囃子保存会」を結成。

昭和39年(1964年) 

12月1日奉納囃子が昭島市無形文化財(技芸)指定 

昭和41年(1966年)

台風災害により手水舎、石段(二の鳥居北)を復旧 

昭和43年(1968年)

第3回目の修復。明治百年を記念し「拝島日吉神社御社殿復元奉賛会」を結成して御本殿の彫刻彩色の復元と神輿の修復彩色を完成。 

昭和46年(1971年)

拝殿向拝補修工事 (棟札) 

昭和48年(1973年) 

狛犬建立 (台座刻銘) 

昭和50年(1975年)

2月6日榊祭りが東京都無形民俗文化財(郷土芸能)指定 

昭和52年(1977年) 

一の鳥居建立 (刻銘)

昭和53年(1978年)

社名標及び、御社燈(一の鳥居北)建立 (刻銘) 

テレビ第12チャンネル 東京都提供の「東京レポート、午前0時、俺達の祭―榊祭り」として放映。

昭和54年(1979年)

授与所(御札所)建立

 昭和63年(1988年)

相殿前鳥居建立 (基礎刻銘)

平成4年(1992年) 

3月30日 大日堂境域及び日吉神社境域が東京都史跡指定

平成17年(2005年)

第4回目の修復着手。日吉神社社殿修理工事。 

平成20年(2008年)

日吉神社社殿修理工事竣工

平成28年(2016年)

9月3日 250周年記念式典開催。神輿の修理竣工祭。

令和元年(2019年) 

令和の御代替わりの記念として由緒板を修復(由緒書の修正、LED照明への変更、屋根の修復など)境内の蛍光灯、水銀灯をLEDに替える。 

令和2年(2020年)

9月12日―13日の予定であった第254回榊祭は新型コロナウイルス感染症のため神事のみ齋行し、神賑行事は令和3年 (2021年)に延期となる。従って、年番である下町は令和3年に持ち越しとなり令和3年の榊祭は第254回のままとなる。

令和3年(2021年)

9月18日―19日の予定であった第254回榊祭は新型コロナウイルス感染症のため神事のみ齋行し、神賑行事は中止となった。来年度は年番は中町に移る。

令和4年(2022年)

9月17日―18日に行われた第255回榊祭は新型コロナウイルス感染防止のため規模を縮小して齋行された。事前にPCR検査を実施し、3年ぶりに榊神輿、山車が巡航した。宮神輿は台風14号の影響による雨のため自動車にて渡御。なお、拝島公園内の露店の出店は中止。

令和5年(2023年)

9月16日-17日の第256回榊祭は久しぶりに通常通りの完全開催となった。年番は上町。

 令和6年(2024年)

第257回榊祭は9月14-15日の予定。年番は下町。

日吉神社 Hiyoshi Jinja Shrine
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