御由緒
歴史
日吉神社の創建は不明ですが、安土桃山時代の頃、天正年間(1573-1591年)、隣接する大日堂再興の折に旧拝島村総鎮守山王社として現在地に建立されたと言われています。さらに桜町天皇の寛保元年( 1741 年)九月五日に宗源宣旨を受け山王大権現の称号を賜りました。その栄誉を記念して、氏子一人毎月一銭の積立が始まり、その積立により明和四年( 1767 年)に御社殿を再建修理され神輿を新造して第一回の祭礼を行っています。これが現在も例祭(毎年9月)の前夜祭である榊の渡御(榊祭)として残っています。
現存する社殿は安政2年(1855年)の再建とされています。(幣殿、拝殿、神楽殿新営、鳥居、神橋、石燈篭再建)本殿はそれ以前の建立とされています。
山王大権現社は明治2年(1869年)の神仏分離によって日吉神社と改名し、密厳浄土寺と別れて独立し現在に至っております。
神様の系譜
古事記によると、高天原で生まれた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天の神々から命じられ、共に国生みをしていました。ところが、最後に生まれた火の神(火之迦具土神ひのかぐつちのかみ)によって伊邪那美命は火傷し死んでしまいました。黄泉の国に行ってしまった伊邪那美命を追って伊邪那岐命は黄泉の国を訪れました。あまりにも変わり果てた伊邪那美命を見て逃げ帰った伊邪那岐命は筑紫の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)で禊ぎをして黄泉の国の穢れを祓いました。そのときに左目から生まれたのが天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右目から月読尊(つきよみのみこと)、鼻から生まれたのが須佐之男命(すさのおのみこと)でした。
この三神を三貴子と呼びます。須佐之男命は八岐大蛇の退治の後、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し、その後、神大市比売(かむおおいちひめ)(市場の神様)(大山津見神の娘)と結婚し、御子として大年神(おおどしがみ)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が生まれました。宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は稲の守り神で稲荷社の御祭神です。一方、大年神は毎年正月に各家にやってくる神様で、元々正月飾りは大年神をお迎えするための物です。この大年神と天知迦流美豆比売(あめのしるかずみずひめ)との御子の中の三柱が日吉神社の御祭神である大山咋命(おおやまくいのみこと)、羽山戸命(はやまどのみこと)、香山戸命(かがやまどのみこと)の兄弟神になります。従って伊邪那岐命のひ孫に当たります。
(伊邪那岐命―須佐之男命―大年神―大山咋命、羽山戸命、香山戸命)
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